新しい世界へ旅に出た姉、死に立ち会い死生観を考えるようになった 虫垂癌を患った姉の話 ラストエピソード
予想通り、病院から呼び出される
絶景を見ることができた旅からわずか4日後の20日の午前中、確か仕事をしていた。 その日、母から電話がかかってきた。
姉が再入院して医者から家族を呼んだほうがいいと言われたとのことだった。
すぐ職場に事情を伝え (事前に事情を話しておいたのが良かった) すぐに実家に向かう。
確か午後だったと思うが、この時間だったら新幹線が一番早い。 この状況では値段は関係ない、 スピードだ。 飛行機は便が決まっているし本数が少ない。新幹線は行けば何かしらに乗れる。 到着の新幹線駅からはタクシーで病院に直行した。
夕方には病院に着いた。
姉はベッドに横たわっている、いや眠っていたというのが正しい。
「姉ちゃん、また来たよ!」
耳元で声を掛けた。
うんうんと頷いたので、まだ呼びかけには応じていた。
でもすぐに眠る。
なんだか眠っているところを起こされたような感じにも見えた。
午前中はまだ受け答えができていたらしい。
今は目を開かないが頷く程度の反応のみ。
聞いたところによると、 昨日急に具合が悪くなり介護を呼んだ。 介護の範囲での対応は限界だから病院に行きましょうと提案されたところ、素直に「病院に行く」と言ったらしい。
そしてそのまま入院したそうだ。
「すぐに家族を呼んでください」ということはもう最後の段階ということだ。 良くも悪くも予測していた通り。
もう一人の姉は、翌日じゃないと来ることはできなかった。
とりあえず電話をして電話口で眠っている姉の耳元に持っていく。電話越しに話しかける声に応答するかのように姉は頷いている。
声は届いていた。
「うんうんと頷いてるよ、 聞こえてるよ」と姉の代わりに伝えた。
明日の到着まで持つだろうか?
夜9時頃、姉はまだ呼吸が大きかった。
病室には付き添い者の仮眠用のベッドがあったので、母が付き添い泊まることに。 私は実家へ帰り翌朝また来ることに。
それまでに息を引き取っていたらそれはもうしょうがない。 異変があったらすぐに連絡するように母に伝え引き上げた。
ただただ眠っているだけ
翌朝、病院へ行った。
姉はまだ息があった。
夜中に連絡がなかったということはそういうことだ。
今日もまた、ただ眠っている姉の傍にいるだけだ。
看護師さんの話によると、もうほとんど深く眠っているような感じで意識レベルはかなり低いらしい。
だからもう苦しいということはないらしい。
ただ深く眠っているのだ。
極限まで生命を維持させようとする本能なのか、脳が臓器を動かす体力を温存するために眠れと命令するそうだ。
体格が良かったからエネルギーが多いのか、ここへ来て太っていたことが功を奏したように思えた。 ただ反応できないだけで声などは聞こえてるかもしれなかった。
呼吸も一定のリズムを刻んでいた。
その日中は何をしていたのか覚えていない。
ただただ病室で過ごしていたような気もする。
姉の友人が面会に来ていたような気もする。
ただその傍には呼吸をしているだけの姉がいた。
時間が経つに連れ少しずつ呼吸が浅くなっていくのがわかる。
もう一人の姉は間に合うのか?
もはやそれに間に合いさえすればいいとだけ思っていた。
夕方、何時ごろかは忘れた。
もう一人の姉が到着した。
何とか間に合った。
声をかけたが既に目に見える反応はなかったが、遠い意識の中、 聞こえているかもしれないと思った。
もう一人の姉としては、こんな状況とはいえ、とりあえずホッとしたようだった。
そこからまた職場の友人たちが訪れたりした。
友人たちは姉の姿を見るなり、泣き崩れながら声をかけていた。
「どうしたの?!この前までは元気だったのに!!」
この前まで…
その友人たちにとって「この前」は姉が仕事をしていた3~4か月前、または入院の前後だ。
私にとっては、ある程度予測していたことと、1週間単位で会って様子を見ていたので「この前」の感覚は短い。
しかし1週間単位、直近では一日単位で変化(悪化)が見られていて、確かに進行のスピードは速かった。
がんで死にゆく様は自然死に近い
がんは「がんそのものでは死なない」 がんによる臓器不全による衰弱死といわれるそうだ。
姉のきっかけは虫垂癌だが、結局のところ転移、転移で他の臓器も侵されてしまい、その臓器不全による栄養不足による衰弱死といえる。
よくがんは自然死に近いともいわれる。
確かにその衰弱のスピードは速いが、ボックリと逝くわけではなくジワジワとに死へ向かっていくので、確かに自然死に近いのかもしれないと感じた。
治すための治療をストップした時から2〜3か月かけて死に向かっていた。 老衰はそのスピードが年単位、 そのスピード違いだけなのかもしれない。
ついに旅立つ、苦しみからの解放なのか表情も穏やかになる
少しずつ呼吸が浅くなってくるのがわかる
今まさにその最後の段階をゆっくりと進んでいる。
心臓は脳の命令なく自立して動くことができる唯一の臓器だ。
全身に血液を循環させるための臓器、それを動かすために残っているエネルギーを集中している。 ということは心臓に力がなくなってくると心臓から遠い末端から血液が届かなくなってくる。
手足の先から少しずつ冷たくなっていくそうだ。
確かにそうだった。
顔の雰囲気(表情とは言い難い)もなんとも言えない独特な感じだった。
私は応急手当の講師をしたり、仕事で傷病者の対応も数多くした経験があるので、状況を冷静に見ることができていた。
姉の友人たちも帰り家族だけになった。
不思議と悲壮感はなく、姉の話や他愛のない話などしていた。
姉は自分がやりたいことは散々やってきたから悔いはないんだろうなとか、実家に帰ってきた理由とか。
ある日、父が夢枕に立って「実家に帰りなさい」と話していたので帰ってきたと。
そして母には散々世話をかけたなど。今思えば、母に世話をかけることによって母の活力を生み出していたのかもしれない。
そんな話をしながら笑いすら起こっていたのが不思議だった。
ただ姉の呼吸のリズムがその中心にあった。
時折、乾いてくる唇を湿らす。手足の末端はもう冷たい。
それから2時間ほどたったころ、 本当に浅い呼吸になってきた。
まさに虫の息だった。
そして、
ピタッと呼吸が止まった。
母と姉は、やはりその瞬間はさすがに泣いて声をかけていた。
私はここぞと冷静に対応しなければならないと思った。
看護師を呼んだ。
そして口が大きくパクパクとし始めた。いわゆる死戦期呼吸が現れた。
応急手当の講師をしているからよくわかったが、普通はまず見ることはできないだろう。
口元は阿吽(あうん)のようだった。
1分ほどその死戦期呼吸が続いた。
冷静だった。
ある意味、ほっとしたような気分でもあった。
なぜそう思ったのか?
姉自身が苦しみからの解放?
自分の、姉の世話からの解放?
よくわからなかったが、正直な気持ちが「ホッとした」だった。
姉の表情をみても、さっきまでの表情とは違い穏やかに見えた。
姉が「私が死ぬのを待ってるみたい」といっていたのも実はまんざら嘘でもなかったのかもしれない。
看護師が医師を呼ぶ。
医師が脈拍や瞳孔を確認する。
そして死亡診断された。
実際に息を引き取った時間と若干(数分)の誤差があるんだな。
医師の診断が下されて初めて死亡とされる。
虫垂癌と診断されてからちょうど2年ほどだった。
飛ぶ鳥跡を濁さず
姉が指定していた葬儀社へ連絡した。それも生前に姉が準備していて私に伝えていたことだった。
もちろん24時間対応だ。
「死亡診断書を受け取ってください、そして棺桶と霊柩車を手配します。」
一つ一つ、親切に教えてくれた。
そして霊柩車が到着、すべて葬儀社が運んでくれた。
葬儀社の葬儀会場と宿泊施設を兼ね備えた施設へ移動、 姉を含めた家族でそこに泊まることになった。
葬儀の段取り、進行などすべて葬儀社がやってくれる。
親族は何の心配もせず、任せておけばいい。父が死んだ時代(約20年前)はこうじゃなかったな。
だいぶ世の中も進んだものだと思った。
姉の死にゆくさまを見て、姉の死に立ち合い、人が死んでいくということがどういうことかを考えさせられた。
ある意味、身をもってそれを教えてくれた姉に感謝していた。
父は突然死だったからそのようなことを考える暇はなかった。
姉は、自宅に帰ってきてから自分の人生の後始末をしっかり行っていた。
「飛ぶ鳥跡を濁さず」
まさにその言葉通りだった。
そして、がんで死ぬ時というのは「眠りにつく」ような感じでそのまま死んでいくものなんだな。
本人は苦しさもあったかもしれないが、眠気がやってきて眠りにつくんだな。
そしてその死は眠りの延長なんだなと。
がんで死ぬことは、後に残る人のことを考えたり人生の締め括りを自分でできること。
実は自然死に近いということと思った。(苦しさはいくらかモルヒネで軽減させてはいる)
がんで死ぬのも悪くないかもな。
旅行が好きだった姉は、新しい世界への旅行へに出掛けたような感覚だった。