姉が見せてくれた絶景 虫垂癌を患った姉の話 エピソード8
警察に出頭するための帰省だったが
今回は急な話で、警察署に行くのが目的だったのでクルマで行くことにした。 (11月12日夜~15日)
高速道路周遊という「どら割」というものがある。3日間であればある区間での高速道路が定額になるというやつだ。
うまく日付が変わる頃に高速に乗り、3日で収まるようにする。
今回のプランは、12日の夜出発し日付が変わった頃に高速に乗る、13日の日中到着、14日は出頭、その夜出発、15日に帰宅というブラン。
もちろん道中も多少は楽しみたかったし、そんなプランを考えるのもまた楽しい。
道中を楽しむ
12日の夜に仕事を終え、 車通勤なのでそのまま出発。
新幹線も考えたが、新幹線は高くつく。値段も同等で時間が都合の都合がつくのであれば今回はどらを使った車のほうが道中も楽しむことができる。
ついでに実家にある古い本、古書の類のものも売る (処分する)ために運んでこよう。
長時間の運転は苦にならないタイプ、というかむしろ好きなほうだ。ロングドライブの感覚だ。
無理せず休み休み行きながら、 約12時間~16時間を目安にしている。
どのようなルートで行くか考えるのもまた楽しい。
夜の空いている時間帯に東京、首都圏を抜ける。
そして行けるところまで行く。
ちょうど仙台あたりが中間点だ。 そのころには仮眠をとる頃だ。
仮眠はもちろん車中泊だ。もう何度も行き来しているのでサービスエリアの内容も珍しくなくなってきた
東北道、カラマツ黄金の絶景は偶然だったのか?
仮眠をとって再出発。
東北道では岩手がやたらと長い。 岩手は北海道に次いで2番目に広い県だ。
東京〜青森間での中間点は、仙台あたり。東京〜仙台間は、埼玉一栃木一福島一宮城 (仙台) だが、仙台〜青森は間に岩手しかない。
岩手に入ったら県で考えるよりも市で考えたほうがいいかも。
でも県を越えると進んでる感があるんだよな。どうでもいい話だが(笑)
そして盛岡あたりまで来ると終盤に入ったイメージ。 比較的慣れた道中だったが、今回は何か初めてみる光景が。
高速道路沿いに植えられている木々が黄金色にそまっていた。
盛岡あたりから少しずつ増えていき、 岩手山〜八幡平あたりから八戸道ではあたり一面が黄金色に。
周りの山々も一面黄金色に染まっていた。
たまたま雨が降っていたのだが、晴れているほうがキレイに思うかもしれないが、実は雨が降っていると葉に艶が出るような感じがするのと、空がグレーだと逆に色が映えて見える。
実はあとで気が付いたことで、後に晴れたときに同じような景色を見たが、きれいではあるものの、その時のような感動が生まれなかった。
すごい絶景だ...
ほんとうに黄金の中を車を走らせていた感覚。
この季節に走ったことがなかったのか、いままで気が付かなかった。
と、もう一つ気が付いたのだが、実はその木々は地面から植えられていてちょうど黄金に輝いている部分が高速道路の高さだった。 だから下の道からでは目の前に見えるのは樹の幹で、この並木の紅葉はこんな風にないし、高い高速道路だから山も障害物がなく近くに 見える
高速道路ならではの景色、そして偶然雨だったことがこの景色を生み出したのだと思った。
それが八幡平あたりから、八戸道方面まで延々と続いた。
実際の写真(動画の切り抜き)

(動画の切り抜きなので荒いですね。やっぱり肉眼のほうが印象が強いです。)
そのあともう一度あの絶景を見たいと思って機会があればチャレンジしてはいるものの、あの時のような感動は一度もない。
あとから調べたら、どうやらカラマツの紅葉だったようだ。
この時期に東北道〜八戸道方面を走るだけでカラマツの紅葉の絶景を見ることができますよ。
実家に到着し、その話をしたら「昔からあるんじゃない?」とそっけない。
それでわかったのが先述した、地面からの景色と高速道路からの景色の違いだった。
姉の死期が近くなっている・・・
今回の滞在期間は短い。
今日(13日)到着し一泊だけ滞在する。そして、明日(14日)に警察に出頭、その日のうちに帰路に発つ。
水戸あたりに古書を買い取ってくれる古本屋があったので、水戸へ立ち寄ることにしよう。 (当時は宅配便回収というものはなかった)
各地をまたにかけて活動しているような気分が楽しく感じた。
前回から20日間ぶりだろうか、姉の様子はだいぶ悪化していた。
前回は自分でベッドから起き上がれていたのに、今は自力で起き上がることができなくなっていた。 さらに介護からレンタルしたのか歩行器を使っていた。 私が応急的に作った手押しワゴンなんかより全然歩きやすいはずだ。 しかし足元はヨタヨタとおぼつかない。
そして「なんだか眠いんだよ〜」と寝ていることが多かった。
「終末期予後指針」ほぼそれに沿って進行している感じに思えた。
姉が寝ているときに母に、
「明日帰るけど、またすぐに来なければならないかも」
と話した。すると母は、姉が
「なんだか私が死ぬのを持っているようだ」
と言っていたと話した。
そう取られてもおかしくはない行動をしていたかもしれない。
なぜなら「その時」に動じることなく行動できるように準備していたからだ。
実際にその「予後指針」を参考にある程度予測して動いていた。
そして状態の経過を見ていると、それがぴったりはまっているのだった。
姉も自覚はあり、葬儀社の準備をしていたことや遺影の撮影もしてあるなどと話していた。
死んだら葬儀はこうしてくれとかあぁしてくれとか、お願いもされていた。
私がそれを否定せず、「分かった」 と受け入れるような返事をしていたことも事実。
しかし、「その時」にしっかりしていなけらばならないのは私自身であるという自負からくる行動でもあった。
その「予後指針」によると姉の現在の様子では、残りほぼ1週間だった。
自力で起き上がることができない、大半を寝て過ごしている。
そして常に何か苦しそうに眉間にしわを寄せていた。
「眠いんだよ〜」
眠いというのは、体のエネルギー消費を抑えるために脳が休めと命令しているから来る現象らしい。 それほど体力の低下が著しいのだろう。 その言葉と寝ている姿を見ると、「死」を迎えるのは言葉通り 「眠る」感覚に近いのだろうか? であるのであれば、そんなにも苦痛は感じないのかな?
などとも思ったが、 今現在がんで苦しんでいてモルヒネで緩和しているだけ。
本来ならばもっと苦しいはずだ。
本人も「苦しいことは苦しいんだよ」と言っていたが、どうにもできない、何かもどかしいような苦しさなのか、苦しいと訴えることはほぼなかった。
私自身も時の感覚など、あれこれ想像していた。
でも自分も家族がいる身、後に残る者のことも考えるようになった。
父がほぼ突然死だった。対照的にジワジワと死期が迫ってくるようながん終末期。 たいていの人は苦しまずにボックリ逝くことを望む発言が多いが、自分の後始末ができることも悪くないな。
「がんで死ぬのも悪くない」と思うようになってきた。
例えば「眠いんだよ〜」
といって眠っているうちに死んでいる。
これも悪くないかなと。
見たこともない大きさのスーパームーンが海に浮かぶ
そして警察署への出頭を無事終えて、その夕方 (11月14日) 実家の窓から満月が見えた。
姉と「すごくおっきい月だねぇ〜」とその月を眺める。
本当に大きな月だった。
その時はたまたまスーパームーン中のスーパームーンだった。近年で最も大きいらしかった。特に昇った直後だったので特に大きく見えた。
姉には「また来るよ」 と言い残し、 すごくおっきい月を見ながら出発した。
出発からちょうど月の昇っている方向、東へ向かう。
まもなく高速道路に乗った。
高い位置なので障害物もなくさらに月が近く感じた。 通常の3〜4倍はあろうかと感じるような大きさだった。
田舎道、高いビルなどもなく東には海、 走っているのは高速道路。
海の上に浮かぶスーパームーン、それも絶景だった。
スーパームーンと時間帯、 方向、 高速道路とすべてが揃っていた。
写真を撮りたかったが、高速道路で難しかった。
でもその光景は脳にしっかりと焼き付いた。
紅葉の朝の光と袋田の滝
さてここから水戸へ向かう。
途中に袋田の滝があるな。 ちょっと寄ってみよう。
仮眠も考えるとちょうどいい時間帯に袋田の滝につくはずだ。
計算通りちょうど午前中に袋田の滝に着いた。
行きは雨だったが、帰りは晴れ。
紅葉の季節、朝の光の具合も良くここもなかなかの景色だった。
動画を撮り姉に送る。
「すごいねぇ〜」 と喜んでくれていたようだ。
カラマツの紅葉といい、スーパームーンといい、朝の紅葉の袋田の滝といい、偶然なのか絶景3連続だった。
旅行好きの姉が見せてくれたのだろうか?
そして夕方頃、水戸に着く。
古本は、ほとんどが買取不可だった。まあそんなもんだろう。 あってもしょうがないので処分をお願いした。
そしてそのまま帰宅。 翌日からまた仕事だ。
しかしいつ実家から呼び出されてもいいように職場には事情を話しておいた。