認知症の母との会話 私は嘘つき(笑) うんざりすることもあるが、やり取りを楽しむ
更新日:4月1日

母が認知症になり、介護施設に入居して一年が過ぎました。
遠距離だからなのか、私の性格なのか、いわゆる介護疲れというようなことはありません。
ただしょっちゅう電話がかかってきます。
でもはっきり言って、
会話になりません(笑)
私はそこでムキになることなく、内心は軽くあしらうかのように(表現は悪いですが)
話を聞いてあげることに徹しています。
母が話したいだけ話をさせてあげます。
完全に同調するということもないのですが、うまく合わせるようにします。
嘘も付きます(笑)
うんざりすることもある反面、そのやり取りを楽しんでるところがあります(笑)
向こうは今話したことなんて、すぐに忘れるのですから。
よく訴えてくることは、
・お金がない(盗まれた)
・欲しいものが買えない
・服がない
・どこどこに連れてこられた、助けて
・誰かに殺されそう
・この家に(施設)もう住めない
・銀行にいかなければならない
・お墓参りに行ってくる
・葬式に行かなければならない
大きく分けると
・〇〇がない。自分の目の前にないときに、(持っていない)と訴える。
・被害妄想。〇〇に連れてこられた、殺されそう。ここから出して。
・〇〇に行かなければならない、しなければならない。なにかの義務感。
この3つが多いような気がします。
どうやら認知症の人が、頭の中にフラッシュ的にパッと出てきたことに対して話をするようです。
みんながみんなそうとはわかりませんが、うちの母はそのようです。
〇〇がないという訴えに対して、私の返し
「服がないから買ってきてちょうだい」
⇒今何着てる?
でも引き下がらないことが多いので、「わかった、送るから」
「送る」ということを言う、訴えに答えてあげる、と満足するようで落ち着きます。
そして施設の人に確認すると、目の前にない=持っていないとなるそうです。
同様に「お金がない」こちらのほうが多いです。
自分の手元に現金がない=お金がないとなるようです。
その施設には、お小遣いを預けていて必要なものは買える仕組みになっています。
もちろん自分では買えないので、施設の人を通してということになります。
ただ本人は自分で買い物をしたいという気持ちもあるようです。
これも「施設に預けている」ということを何度言っても通じません。
「買い物もできるよ」とも言います。しかしやっぱり目の前に現金がないのが不満らしいです。最近は「お金を見たことがない」と言ってきます。
それに対して私は、
「今はキャッシュレスの時代だよ。(近所の)〇〇スーパーでも(プリペイドカードに)チャージしてたでしょ?それとおんなじで、施設にチャージしてるんだよ。自分もしばらくお金を見たことがないよ。買い物は訪問販売が来たときに自由にすればいいよ」
と返しています。が、納得していません(笑)
そこは、うやむやにしちゃいます。
買い物したくてもできなくてできなくて可愛そう...
などと考えるとやってられません。いちいち毎度毎度それにまともに付き合っているとこちらが潰れてしまいます。
おそらくそれの積み重ねが「介護疲れ」に繋がると思います。
先にも述べましたが、すぐ忘れるんです。
被害妄想
例えば、「男の人3人に、〇〇市に連れてこられた。助けて」とか、「今、〇〇湖にいて迷子になった」「ここから出して。ここにいると殺される、助けて」
など、訴えてくることがあります。
実際は、施設の中にいます。
自分では、でることもできません。コロナ禍だし車椅子だから。
そのような場合、例えば(場所特定のため)「周りに何が見える?」とか問いかけると、だいたい答えることができません(笑)
看板とか山とか、見えてもいいもんですが。
そうこう言って話しているうちに、その殺されそうとかの状況を忘れてしまいます(笑)
話をしたことによって落ち着くのでしょうか?
「ここから出して、殺される」に対しては、私の母の場合は車椅子なので、「出てどうやって生活をする?逆にほんとに死んじゃうよ?」
私が一緒に住めないということはまだ認識があるようです。
これも話しているうちになんとなく落ち着いてくるようで、納得してるのかしてないのかわかりませんが通話は終わらせてもらえます。
薄情かもしれませんが、たまに仕事中だからといって一方的に切ることもあります。
〇〇をしなければならない、何かの行動義務感
多かったのが「お墓参りに行かなければならない」「銀行に行かなければならない」
これに対して私は、「行ってきたから大丈夫だよ」とか「今度やっておくよ」とか言います。すると「あら、そうだったの?じゃあ良かった、安心だ」と感謝されます(笑)
それに対しては終了します。もちろん嘘です(笑)
でも実際に時期がくれば行っています。
ただ厄介なのが複合技。「お金がない」「お金が必要だからおろしに行かなければならない」
例えば、「近所の人の葬式に行かなければならないから、お金をちょうだい」と訴えてきます。「出かける」のと「お金をちょうだい」の複合技できました。
なんどかこのやり取りがありました。
私はこう返しました。
「近所の誰の葬式?」
すると、誰なのか出てきません。か、「あれ?誰だったっけ?」となります。
「誰の葬式かわからなくて葬式にいくの?どこのだれかわからないのにお金は渡せないよね?」というとなんとなく納得してるのかどうなのか、うやむやになります。
また既になくなっている親戚も「今度会わなければならない」と登場します。
「もう亡くなってるよ」というと「あ、そうだったか?」となります。
あと電話がなっても出ないで放置することもしょっちゅうです。
運転中だったり、仕事中だったりほんとに出れないときのほうが多いですが。
という感じで、嘘ついたり適当にはぐらかしてけっこう悪者です(笑)
まともに付き合っていたらこちらが潰れてしまします。
しかし、親の介護で子が潰れてしまうのは親の気持ちとしてどうでしょうか?
それは、けっして本心ではないはずです。
介護は義務ではありません。
制度をうまく使い、専門家に任せるところは任せて負担軽減したほうが良いと思います。
私は完全に任せっきりですが、今は任せっきりにできる制度があります。
電話に出て相手をするというだけでも、少しは親の気持ちに寄り添っているのではないかと考えています。
そう考えると意外と負担にならず、意外と楽しいという面も出てきますよ(^o^)
介護疲れとか悲しい事件とかが減ることを願っています。