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日に日に状態が悪くなっていく姉  虫垂癌を患った姉の話 エピソード7 


 

前回の帰省から約1週間


今回の帰省は、母の新しいクルマの手続きやらの関係でとんぼ返りのように帰省したような感覚だった。

しかし実際はディーラーが全部やってくれていたので大した手続きはなかった。

余談だが、自分は基本的にD.I.Y思考で、クルマの手続きなども全て自分で行う派だ。


しかし、実家に帰ってきたのは正解だったかもしれなかった。


姉が「体の状態が少し悪化していて不便さを感じていた」とのこと。


先週は支えとなる支柱に捕まって歩行ができていた。

しかし今は、和室のふすまのレールのようなほんの1~2ミリ程度のちょっとした段差が乗り越えられなかった。支柱につけていた車輪がつっかえてしまうとのことだった。

あと、すり足のように歩いていたので、引っかかりが怖いとのこと。


姉がいる部屋は和室で出入口はふすまだった。 そのふすまのほんの1~2ミリ程度しかない段差を超えられないというのだ。

たったそれだけの段差が越えられない...


たった一週間でこんなにも変わるものか...


健常者の感覚で話してはいけない。

なにか対策をしなければ姉は動けない。


しかしこの状態がこれから何か月も続かないとみているから、バリアフリー化など家の改築など大がかりなことはできない。 (薄情かもしれないが)


簡易的に何かできないだろうか?


100均でいろいろと探してみた。


簡単なフロアシートでレール部分を覆った。 フロアシートはそれほど厚みもなくもなくほとんど紙の厚さだ。


段差もゼロにはできないが、段差ではなくなだらかな傾斜のようになった。


つかまって支えるものからワゴンに少し手を加えて手押し車のようにした。 これでだいぶ楽に歩行できるようになったようだ。


手作り感満載のとりあえず的なものでも、私が一生懸命やってくれている様子がうれしかったようで、 あの仲が悪かった姉が


「ありがとう、ありがとう」


と言ってくれた。


正直、姉からそんな言葉が出てくることに驚いた。 元気だったころはそんな言葉は一言も発することはなかった。


モルヒネの効果か?などとも思ったが、仲は悪かったが最後くらいはよくしてあげることができて良かったかな。 と素直にうれしく思った。


最後くらいというのも失礼なことかもしれないが、たった1週間で状態が目に見えて悪くなり始めているのを目の当たりにすると、 「終末期の予後判断指針」もまんざら外れてるわけでもなく、むしろほぼその通りに進行しているように思えた。

<参考>がん終末期の予後判断指針(大津版)


 

家族が揃った最後の日


今回は有給を取り、長めに滞在することにしていた。


というのも、もう一人の姉が帰ってくるというのだった。 その日程と少し重ねていた。


20年前に亡くなった父以外、 家族が揃うのはかなり久しぶりで、振り返るとこれが最後だった。


そしてもう一人の姉と交代するような感じで私は帰っていった。


次いつ来るか予定は立てていなかった


 

交通事故の処理で警察に呼び出された


しかし次の休みのとき、自分のハードスケジュールのせいか私が倒れてしまった。


姉のことだけやっているわけじゃない。

仕事だってしているし、子供の習い事の付き添いなどもやっている。

倒れてもおかしくはなかったかもしれない。


そんな中、実家の警察署から連絡があった。

「先日の交通事故の件で出頭してください」 とのこと。


実家に帰る予定は立てていなかったが、出頭しなければいけないということなので、 出頭の為に、すぐ次の休みに帰省した。


そのときの状況によって移動手段を変えている。 飛行機、 新幹線、高速バスなど、いろいろな手段が使える場所ではあった。


今回はクルマを選択し、14日の午後出頭する予定にした。



​だすけ

青森出身神奈川在住のアラフィフ。実家のことでいろいろあり、青森にちょくちょく行くように。その忙しさの合間や道中、逆境すら楽しみに変換してしまうポジティブな人。

​そのほか、いろいろ基本的にすべてDIY、費用対効果重視で無駄が嫌いらしい。

​だすけの由来は南部弁の「〜だすけ」

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