姉の帰宅と在宅療養 虫垂癌を患った姉の話 エピソード6
更新日:4月1日
姉の帰宅に合わせてまた実家へ
姉は、散々海外旅行に行っていたので航空会社のマイレージがたくさん残っていた。
帰省する際にそのマイレージを利用させてもらった。
「もう旅行には行かないからといって全部使っていいよ」と、10万マイルはあっただろうか。これで帰省の為の交通費はだいぶ節約できた。
そしてついでにわざと経由地を遠回りしたり旅行気分も楽しんだ。
せっかくなら道中ぐらいは楽しみたい。 どんな時も自分なりの楽しみを盛り込むのが自分流だ。
今回は、行きは飛行機、帰りは姉が乗っていたクルマ。
行きは、 羽田一松山一大阪伊丹 (一泊) 一青森 すごい寄り道(笑)
でも松山空港でのラーメンや大阪の空港からホテルまでの道中だけでも雰囲気は楽しめた。
四国は初だったが、空港内のみ(笑) それでも新鮮だった。
実家に行けば、 姉のことをあれこれとこなすばかり。道中だけでもそんな楽しみがないとやってられないというのもあったかもしれない。
今回の帰りはクルマ。
姉のクルマは車検を通したばかりでまだ十分乗れるのでそのまま譲り受けることにした。
私は当時、 軽自動車 (これも諸事情により譲り受けたもの)で、ちょっと子供も大きくなってきたので、軽よりも普通車のほうが都合がよかった。
休みの都合もあるので滞在期間は2日間、 前後は移動日だ。 (10月13日16日)
姉の帰宅
さて自宅の受け入れ態勢も整い、いざ帰宅となるのだが、 介護のほうで運んでくれました。 私の帰省に合わせて日程を組んでくれました。 (私が帰る前日)
(13日に退院、帰宅。14日に私が到着) 今の時代は医療と介護の連携は不可欠なのだと思った。 (母の老人ホーム入所のときもそうだった
やっぱり自宅がいいのだろう。 とても喜んでいた。
しかし、姉にはストーマ (人工排泄器) がついている。 病院では看護師がやってくれるのだが、自宅ではそうはいかない。 自分でやらなけれ ばならない。
そのやり方を介護士さんからレクチャーを受ける。
ベッドにいるときは機械につなぐが、ベッドから離れるときは排泄物を一時的に貯める袋と一緒に動かなければいけない。
そのようないろいろなことは、さすが専門家だった。
それから様子をみたり、体を拭きに来たりするそうだ。私もずっといるわけにはいかないし、母も動きには限界がある。 やっぱり今の時代、 介護は必要だと実感。
そして歩き回るときの為の排泄物容器(袋) を吊り下げる必要があるのと、楽に歩行できるよう支えになるようなものが必要だった。
思い付きだったが、よく玄関先にある帽子をかけるようなやつに、滑車がついた板のようなもの(よく大きいものを運ぶときに使う簡易的な
台車)を紐で括り付け体化させた。 これが思いのほか姉に好評で、これで家の中を歩き回ることができるようになった。
こうして、自宅療養が始まった。
緩和ケアとしての治療
治療と言っても治療ではない。
いわゆるモルヒネに代表される医療用麻薬のようなもので痛みの感じ方を軽減させるものだ。
痛み緩和の薬(いわゆるモルヒネのようなもの)も今は張るタイプだ。 だから自宅でも簡単にできるそうだ。 しかしその強さは従来のものよりも強力らしい。 それは治療のためのものではない、 痛みを和らげるだけのもの。
ああ、これの影響でよく言われているせん妄や幻覚も見るんだろうな。と思った。
人生の後片付け
姉は自分の銀行口座やら保険やらいろいろ教えてくれた。
入院した時の保険の請求書類も自分で作っていた。 たださすがに外出はできな いので請求に行くのは頼まれた。
姉の行動は、ベッドで寝ているか、タブレットを見ているか、リビングの自分のいつもいた定位置にいるか、どれかだった。
それと自分のことのいろいろな後始末をしていた。
銀行から引き落とされているものの解除やクレジットカードの解約など、できることすべて。
マイレージをもらったのもクルマの譲渡もその一環だった。 クルマは私のほうから持っていくと申し出たのだが。
明らかに自分が死へ向かっている自覚を持っているように思えた。 様子から見て確実に死に向かっているのはわかる。もちろん私からは言えないが。
死ぬことに恐怖はないのだろうか? 姉の立場になって考えてみたりもした。
100kg はあったと思われる体もなんだか小さくなってきているようだった。
不覚にも事故を起こしてしまった
そんな中、私が病院へ何かの手続きに向かう途中、どうやらクルマの運転中に考え事をしていたようで、 交通事故を起こしてしまった
相手に怪我人がでたので人身事故になってしまった。
大したケガではなかったのが幸い。
こちらは母のクルマだったのだが、廃車確定。
幸い、事故処理はスムーズに終わった。
こんなときに余計な心配事と自分の時間とお金を使うことになってしまった。
しかし、姉が母に新しいクルマを買ってあげるとのこと。
貯金していたお金も自分には使えないので、そうしたかったのだろう。
姉と母が親しくもらっていたディーラーに新しい中古車を見送ってもらう。
事故を起こさなければ、こんなことに時間を費やさなくても良かったなと思うがやってしまったことはしょうがない。
私の今回の滞在期間ももうなかった。
次回休みを取っている11月上旬にこちらに来る予定でいたが、母の新しいクルマの納車等ですぐ次の休み約1週間後に来ることにした。
しかし食事ができなくなってから既に約2か月。そろそろ何か状態の進行があってもおかしくはない。
そうして車での帰途についた。