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帰宅と緩和ケア  虫垂癌を患った姉の話 エピソード5 

更新日:4月1日




姉の帰宅体制を整える。


いわゆる本格的な緩和ケアに移行だ。


そもそも緩和ケアって?


WHO(世界保健機関) によって以下のように定義されている


緩和ケアは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、 さらにスピリチュアル (宗教的、 哲学的なこころや精神、 霊魂、 魂) な問題を早 期に発見し的確な評価と処置を行うことによって、 苦痛を予防したり和らげることで、QOL (人生の 質、 生活の質)を改善する行為である"


“痛みやその他の苦痛な症状から解放する。

生命 (人生)を尊重し、死ぬことをごく自然な過程であると認める。

死を早めたり、 引き延ばしたりしない。


患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する。


死を迎えるまで患者が人生をできる限り積極的に生きてゆけるように支える

患者の家族が、患者が病気のさなかや死別後に、生活に適応できるように支える


患者と家族のニーズを満たすためにチームアプローチを適用し、必要とあらば死別後の家族のカウンセ リングも行う。


QOL 人生の質、 生活の質)を高めて、病気の過程に良い影響を与える。


病気の早い段階にも適用する。 延命を目指すそのほかの治療 (例えば化学療法、 放射線療法など) を行って いる段階でも、それに加えて行ってよいものである。 臨床上の様々な困難をより深く理解し管理するため に必要な調査を含んでいる。“


ウィキペディアより引用



はっきりと 「死」 という表現が出てくる。


残酷かもしれないが、これが現実なのだ。


でも不思議と残酷さは感じなかった。


私自身も死生観について考えるようになってきた。


かつて父が死んだとき、ショックや悲しみは大きかった。 若かったというのもあると思う。

そして子供も生まれた。 その時の感動は言葉に表せない。


「小さいことにくよくよするな。しょせん、 すべては小さなこと」

という本があった。


じゃあ大きいこととはなんだ?

大きいことがあるから小さいことがあるんだよ。


と、ちょっと斜め的に考えた結果、大きいことは


「人が死ぬこと、 人が生まれること」


に行きついた。 今でもそう思う。


人が死ぬこと、 生まれること、これ以上の出来事はないと思う。

長くなりそうなのでまたの機会に。



姉は近い将来死ぬ


おそらくそれはもう免れることはできない。


じゃあいかに死を迎えるか? いや迎えさせることができるか?


人によっては薄情ともとられるかもしれない。


姉がこれからその時まで穏やかに過ごしていくサポートをすることに、ある種のやりがいを感じはじめていました。



介護認定を受け、自宅へ


確か、病院から言われたのは、 まず介護認定を受けることだった。 その他の病気でも条件を満たしていれば介護を受けることが可能との事。 それと同時に家の体制づくり。


どうやらいわゆる末期がんの状態であれば高齢でなくとも介護を受けることができるそうだ。


病院に聞けばいろいろとアドバイスしてくれるはずだ。


実際に私は手配とかしていない。 (姉がやったかも?)


今は病院と介護は連携していることが多いはずだ。


それと同時に家の体制づくり。


姉の部屋は2階だったが、次第に2階に上がることも無理になってくる。


一階にベッドを降ろし、その部屋にはつけてなかったエアコンを姉の部屋から移設した。


それなりに費用は掛かったが、 お金の面で姉はしっかりしていて 多少の貯えもあったし、生命保険の入院費も結構足しになった。


家の体制づくりは、とりあえずそのくらいだったかな。


妙な話だが、 仏間しか空いていなかった。

父の仏壇だ。


「お父さんが見守ってくれるよ」としか言えなかったが、後から思ったのだがそれが良かったのかもしれない。


私が滞在している間には無理なので、そうするように母に言い、業者にやってもらうことにした。


そして私は、実家から帰っていった。(9月15日)


次来るのは、姉が帰宅する時。 介護の人と打合せた日程でまた来ることにした。


​だすけ

青森出身神奈川在住のアラフィフ。実家のことでいろいろあり、青森にちょくちょく行くように。その忙しさの合間や道中、逆境すら楽しみに変換してしまうポジティブな人。

​そのほか、いろいろ基本的にすべてDIY、費用対効果重視で無駄が嫌いらしい。

​だすけの由来は南部弁の「〜だすけ」

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