がん再発!腹膜に転移が見つかった 腹膜播種(がん性腹膜炎) 虫垂癌を患った姉の話 エピソード2
更新日:4月1日

がん再発!転移が見つかった
原因不明の激しい腹痛の原因が盲腸のがん、虫垂癌の破裂だった。
その虫垂癌の破裂が原因で散らばったがん細胞による転移予防のため、抗がん剤治療を続けていてしばらく様子は落ち着いていた。
そしてちょうど1年半が経ったある春先の頃(3月)、とうとうがんの転移が見つかったと連絡が入った。
やっぱり虫垂痛は悪性であることが多いと、 姉も例外ではなかったようだ。
その転移場所は「腹膜」
姉が虫垂癌を患ってから、虫垂癌についていろいろと調べていた。
悪性である確率が非常に高い。 転移する場所はその配置に近い「腹膜」などが多い
それがとうとう再発してしまった。
はっきりと言ってしまえば、 腹膜のがん(悪性)
病名は
「腹膜播種」 または 「がん性腹膜炎」
ともいわれるようだ。
この時点で、すでにステージ4なのだそう。
実は、このステージ4など、いわゆる「末期がん」や「余命○ヶ月」というのは実際のところあてにならないそう だ。
実際に余命宣告をされてから何年も生きていたり、治ったりするという話もよく聞く。
なので「5年生存率」などの表現を使うそうだ。
だからステージ4だからといって悲観するにはまだ早いということだ。
十分回復し元気になる可能性はある。
5年生存率が0%じゃない限り、そこから5年間生きていた人がいるということだ。
悪性なのでここからまた転移をしていくらしいので、また抗がん剤治療を行うそうだ。
またさっそく入院し治療を開始した。
私はすぐに実家に帰り、入院している姉のお見舞いに行った。
姉は、
「思った通り、がんが再発しちゃったよ。もうそんなに先は長くはないと思う。 でも一度死ぬほどの激痛を経験してそこで死んだと思っていたから死ぬのは怖くないんだ。ただお母さんが心配だよ。」
と淡々と話してくれた。
なんか死を受け入れている感じがした。 独身で海外旅行やら散々好きなことをしてきた。もうやりたいことはやりつくしたのだろ
「でももう一回くらい、海外旅行にいきたかったなぁ。」
「がん性腹膜炎」やら「腹膜播種」やらを調べるとやはり闘病している個人の方々のブログにたどり着く。
けっこう壮絶な状況の中、力強く生きていこうとする方が多いような気がした。
ブログを書いて発信しようとするくらいの人達だからかもしれないが、それは大いに参考に なったし励みになった。
こう書いていると姉思いの弟と思われるかもしれないが、実は姉のことは好きではないし 仲もあまりよくなかった。
私の子供を夏休みに長めに滞在させようと思ったが、
「お母さんの負担が大きくなるから長く来ないでくれ」
などと言われたりもしていた。
母の負担を理由に、自分の生活リズムの乱れを嫌ったのがはっきりとわかった。
そんなことを言われたりするとこちらも気分が悪い。
今年は実家への滞在は極力短めにするようにしよう。
本当のところ、母は滞在するのを喜んでいたのだったが・・
と実は言動とは逆に、姉は母に負担ばかりかけていた。
洗濯はしない、弁当は作らせられる、生活リズムはバラバラ (夜勤のある仕事)...
本当に大きな子供だった。 (当時50代独身)
お金は入れてくれるが、家事はすべて母。
「2階のサンルームに洗濯物を干すのが大変だからお金は出すから1階に作ってあげる(から洗濯はしてね)」
というようなことも言われたらしい。
いやいや、2階に上がるのが大変だと持ったら姉が手伝うなりすればいいんじゃないか? と思ったりしたが、サンルームを用意するから母にやってもらうというのがらしかった
と母は私にぼやいていたのだった。
まるで一家の主だった。でも数年前に一人暮らしをしていたのに転がり込んできたのは姉のほうだった。
しかし今思えば、後に認知症になってしまった母にとっては、姉の世話をしなくてはならないという義務感による心身の張り合いがあったのかもしれない。
その「腹膜播種(がん性腹膜炎)」の闘病ブログやらをみると「2年」という時間が見えてきた。
いわゆる余命だ。(あくまでも素人の推測です)
頑張って2年
(仲は悪いが) 実の姉でもあるし、それよりも高齢の域に入っている母の負担になるから弟 の自分がいろいろ主軸になってやってあげないといけないかな。と思い始めていた。
遠距離 (神奈川~青森) ではあるが、家族としての義務感だった。
それから姉のがんの闘病生活が始まった。
しかし当面は引き続き抗がん剤治療を行っていくことだった。というかそれしかなかったと思う。 (当時)
なので、退院中は仕事に行ったりコンサート旅行に行ったりしていた。
海外旅行が好きだったのだが、さすがにそれはあきらめたようだった。